座禅の効能 Q&A
from Discord
ディスコードの方で質問を頂き、言語化する機会を得ることができたので、ここに資料としてQ&A形式でまとめておこうと思う。はじめ.icon
めちゃくちゃ楽しんで読んでいますuvoa.icon (あ、書き込み不可でしたらすみません。どうしてもこの気持を伝えたくて)同じ気持ちなので便乗久住哲.icon
コメント大歓迎です。すごく嬉しいです。励みになります。はじめ.icon
Q:禅的体験ってどんなもの?特別な体験なの?
自分にとっての禅体験というのは、何かしら特別なことではありません。
座禅を続けていると日常的に感じるようになります。
言葉で表現するならば一つに、
「何気ない日常の瞬間瞬間に没入すること」と言えます。
例えば、タオルを畳む、本を元にあった場所に戻す、食事の一噛み一噛み、階段を一段一段上がること、踏み出す一歩一歩、そして一呼吸一呼吸
このような瞬間瞬間に没入するようになっていきます。
もう一つに「心が落ち着くこと」というのがあります。
先ほどは「特別なことではない」と書きましたが、
一方でこれら二つのことは、ふつうにはとても起こりがたい特別なことであるとも考えています。
Q:考えながら行うような複雑な作業にも座禅は有効?
確かに日常のルーティンワーク(いつも同じ作業なのであまり頭を使わなくていい)と仕事などにおいて頭を使いながら行動しなければいけないときは、行動として多少の違いはありそうですね。
ですが、座禅の実践は頭を使いながらの行動においても有効といえます。座禅は雑念を消していく作業でして、それは日常においても雑念は少なくなります。なので日常において何かを考える際にも、自分が考えたいことにすっきりと集中できるようになり、考えも整理されて捗るので、むしろプラスに働くと言えます。
もしかすると非日常的な感覚になるのではないかと懸念されている気がしますが、全然そんなことはなく、むしろ日常的な感覚の精度が上がるという感じですね。変容した意識状態のまま日常を送るということでは全然ないです。意識としては普通の意識ですが、思考がクリアーになったり、集中力が上がったり、自分の感情に気づきやすくなったりするという感じです。
Q:感情や煩悩は無くなってしまうの?
以下の文章は、「感情」という言葉を「煩悩」という言葉に置き換えて頂いても、ほぼ同じような話になると思います。
煩悩について最後に少し書き足しておきます。
感情が無になることはないです。むしろ自分が今この瞬間に何を感じているのかと、自分の感情に気づきやすくなりますね。
例えば、怒りという感情で考えてみると、怒らなくなるというわけではないです。
普通は怒りを感じると、怒りを切り離して対処するか、怒りに吞み込まれてしまうかのどちらかになってしまいがちです。
しかし、座禅をしていると感情の保持能力が上がるんですね。なので、怒りの感情を味わいながらも、それに呑み込まれないという対処の仕方が可能になります。自分の感情を受け入れ、味わい、理解する。それにより、自分という人間をより深く知っていく、そういうことが可能になりますね。
それと自分の感情に気づきやすくなるので、怒りが出始めた瞬間にすぐ気づくようになるので、怒りが小さいうちに対処できるようになります。
自分の怒りに気づくようになると、他人に怒りを表現することも少なくできます。往々にして、自分の怒りに気づかないでいると、気づかないうちに他人に怒りを表現してしまっている人は多いですので。
煩悩についてですが、煩悩が無くなるという心配はしなくて大丈夫です。
煩悩は次から次へと湯水のごとく湧いてきますので。
ただ座禅をしているとこれが少しマシになります。
この「少しのマシ」が、人間が生きていくときには、すごく大きいことになります。
それと煩悩は無くなりませんが、煩悩と付き合いやすくなるというのがあります。
これもまた大きいことなんですね。
Q:「心が落ち着く」について詳しく教えて
「瞬間に没入すること」と「心の落ち着き」は同時に起こるということもよくあると思います。
また「継続的」というのは有効な視点だと思います。
座禅をしていると、座禅をしていないときでも継続的に心が落ち着いた状態が続いていくというのがあります。
また心が乱れるということが無くなるというわけではないのですが、乱れた時にも元の自分に戻る、心が落ち着いた状態に戻るまでのリカバリーの時間が早くなるというのもあります。
怒り、悲哀、承認欲求、厭世観、ルサンチマン、怨恨、空虚感、無力感、無価値観、自尊心の低下、優越感、競争心、未来への憂いなどの煩悩が尽きることは無く、表面的にはこれらのことに揺さぶられるわけです。
でも芯の部分が揺さぶられなくなるんですね。
座禅を続けていると、このような煩悩はあまり本質的なことではないということが、頭ではなく身体を通じて深く認識されていくんです。
それと揺さぶられている自分を、「あぁ揺さぶられているんだなぁ」と眺めている自分もいるわけです。
自分の心の観察能力が上がるんですね。
そういう意味での「心の落ち着き」というのもありそうですね。